福祉施設専門の不動産・建築設計会社

ジェームス不動産株式会社

JAMES REAL ESTATE

Greeting

ごあいさつ

ごあいさつ

安心できる空間とコミュニティが生まれる住環境つくりを目指して

 ジェームス不動産株式会社(旧 株式会社シティ・プランニング)は、平成20年4月に不動産会社として設立しました。
 先々代からの木材市場に始まり、プロパンガス・リフォーム・建築設計・福祉施設運営・戸建住宅販売など安心とコミュニティが生まれるような住環境づくりをテーマに活動してきました。

 時代の流れと共に核家族化・少子高齢化が進み、生活様式も多様化し、ライフスタイルや志向も大きく変わってきました。
それに伴い、個々の住まいへのニーズも変化しています。
私たちは、人と人がつながり笑顔に満ち溢れるコミュニティが生まれるような安心できる住環境づくりを目指しています。
これは、創業当初から変わることのない私たちの想いです。

 これまで培ってきた実績と経験を活かし、新たな価値を創造し、そして次の世代へ繋いでいくことが私たちの使命です。

代表取締役 田中 芳朋

理念

安心・安全な住環境を提供し、地域にならなくてはならないコミュニティの空間を創る

お客さまとの約束

  1. 私たちは、プロの意識を持ち、お客様に合ったベストなプランを提案します。
  2. 私たちは、謙虚な気持ちと感謝を忘れず、お客様から沢山のことを教えていただく姿勢で取り組みます。
  3. 私たちは、お客様に喜んで頂ける感動サービスを追求し、お客様が求めているニーズに応えます。
  4. 私たちは、たとえ不利な情報であってもすべてお客様に伝えます。
  5. 私たちは、お客様の問題解決に徹し、自分勝手な提案しないよう心掛けます。
  6. 私たちは、目先の便利さやコストを優先して、健康や安全を害するものをお勧めしません。
  7. 私たちは、お客様を大切な友人として守り続けます。
  8. 私たちは、お客様、社員、地域社会を大切にし続けます。
  9. 私たちは、物を大切にし、常に整理、整頓、清掃に心掛けます。
  10. 私たちは、当事者意識を持ち、自分事と受け止め、嫌なことに背を向けず、しっかりと向き合い、他人や環境のせいにしません。

社長の生い立ち

プロパンガス店の長男として

1966年8月9日 飯塚市の「田中産婦人科」にて誕生


 飯塚市で生まれ、桜ケ丘幼稚園から飯塚市立菰田小学校へ入学。勉強はそこそこ、野球に明け暮れ、プロ野球の選手になる夢を持ち、当時は強かった柳川商業の野球部へ入ることを夢見る。
同級生の松井君は非常に野球が上手い。松井君を目標にと思っていたが、とうてい追いつくことはできない。(因みに松井君は、その後ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)のプロ野球選手になった)

 小学校高学年時に自宅兼店舗を新築。1階は事務所・店舗、2階は自宅という造り。父曰く、知り合いの工務店に依頼し、間取り設計は全て自分がしたと。どうも欠陥住宅のようだ。小学時代の夏休みは、1階の事務所でよく遊んだり、父の運転する軽トラックの助手席に乗り、お客様宅に行ったりしていた。今でも長年お付き合いのあるお客様は、その当時の話をよくしてくれる。

学生時代

 地元の中学校に入り、野球部へ入部。ここでも又、先輩を見ると、レベルが高すぎてプロ野球選手になる夢は諦めた。(3年間在部していたが、ずっと補欠。)

 父はとても教育熱心。私は勉強をさせられ、地元の名門である嘉穂高校を受験。勉強の仕方がまずかったのか実力がなかったのか、高校受験はみごと失敗。

ちなみに私の部屋は台所の横にあり、部屋のドアは全面ガラス張り。いつでも部屋の中を監視できるようになっている。普通の常識ではありえない。その後、ガラス張りの引き戸には、ポスターを張りまくり、父の監視の目から逃れた。父が考えた部屋のつくりと教育方針は間違っていたとを確信。

とりあえず、私立高校に入学。しかし、勉強について行けず、意思も弱く全く勉強をしなくなる。

遊びだけは、しっかり覚えて高校時代を満喫。

後を継ぐことを決める

 高校卒業後、父に後を継ぐかと聞かれ、その時は返事できずじまい。アルバイト、他業種での仕事などを点々とする日々。そして20才になり実家へ戻る。プロパンガス店を継ぐことを決意。
当時、父は炭鉱で賑わっていた筑豊飯塚(旧穂波町忠隈)で亡叔父が、経営をしていた木材市場に勤務していた。その後、独立しプロパンガス会社を始めることとなった。(店名 飯塚木材プロパン)
父は、どちらかというと職人肌。ガスの他にキッチン・浴室・空調工事・家の修繕等も器用に行っており、言葉少なく、商売上手ではないが、お客様からの評判は良かったようだ。

不動産会社を興すきっかけ

 私が23歳の時、倉庫用の土地を売り、別の場所に倉庫用の土地を購入。付き合いのある不動産会社の紹介で、その土地にご縁をいただいた。父はとても気にいった様子。若いながらも私は猛反対。その理由は水道がない。周辺が田んぼで金額の割には高い。別の候補地を押したが、父は保険を解約してまで購入した。
購入時は、バブル全盛期。案の定、土地は半値になり、やはり失敗。
今思えば、それが不動産会社を興すきっかけになったと言える。

自宅兼事務所を建て替えたが失敗

 父の後を継いで、約10年が経過し、私も30歳。ガスの業務以外に水道、電気工事の仕事を覚え、父も70歳を超え、会社を法人化。私が代表となる。
31歳の時に自宅兼事務所を建て替える。デザイン系の設計士に依頼すればよかったもの普通の設計で建ててしまい、これも後悔する建物になってしまった。
設計代にお金をかけなかったことが今でも悔やまれる。これもまた住宅販売を始めるきっかけとなる。

その後、同業の先輩社長から不動産投資を勧められ、銀行より借入し、アパート経営を始める。
1棟目のアパート購入はなんとか上手くいき、競売物件で2か所目のアパートを購入しようと入札。見事に購入することができたが、高く買いすぎて損をしてしまう。(約1,500万円ほど)この経験も不動産業を興すきっかけとなる。

介護の経験をする

(父 巳喜男)

 父の代からお世話になっているガスのお客さまも徐々に高齢化。水回りのリフォームやバリアフリー工事等の依頼が増え、住まい全般への業務内容と変わってきた。
また、介護保険制度が始まったときに、新たに福祉用具の販売レンタルと住宅改修工事をやり始めた頃から父の介護がはじまり、自宅にて介護。しかし、認知症も進行し自宅では困難。知人の紹介の施設に預けることになった。
ところが、紹介して頂いた施設は大規模(入居者100人程度)で、流れ作業のような業務形態。父は、車いすに放置状態であまり良くない環境。
その頃の父は、末期のガンで認知症もかなり進行していた。娘と施設に行ったときに「ここの施設から出してくれ」と父に怒られた。その後、容態が悪化し、病院へ入院したが、息を引き取ることになってしまった。
その当時は、施設の数が少なく施設の選択も思うようにできない状態で仕方がないかなと思っている。
このような悔いの残る父の介護経験があったので、いつか自分でより良い施設を作りたいと思うようになった。

新たな事業へ

 父も亡くなり、私も40歳を迎える。少子高齢化・オール電化住宅の増加等によりプロパンガス業も転換期に入り、売り上げも減少。これからの将来を考え、ガス事業は、大手事業者へ譲渡。平成20年に不動産会社と太陽光発電会社を興す。
新規事業の両立は中々難しい。太陽光発電の会社は、数年後に撤退し、不動産会社に専念する。
不動産会社は、たくさん存在している。よって特徴を出してやらないといけないと思い、これまでの経験を生かして、平成23年に高齢者住宅仲介センターのFCに加盟。
 父の介護経験を活かし、人生の最後をより良い施設で過ごして頂きたい。そこで、お客様へのニーズに合った介護施設を紹介する仕事と介護施設の用地探しの仕事を中心に始めることにした。
施設は増えているが、施設によっては運営体制が様々で、お客様の要望と異なる施設がたくさんある。
今でも介護施設に特化した不動産会社は少ない。これまでの経験を生かし、やりがいのある仕事と出会い、現在に至っている。
また「住」を極めるために不動産の業務と併せて、建築設計の仕事を行い介護施設事業者様とのお付き合いで福祉施設の建築設計を扱うことが増えてきた。

念願の福祉施設を運営

以前より、施設運営を行いたいと思い、売施設の情報を探していたところ、介護施設を運営している知人の紹介で、撤退する施設情報を入手。古賀市で宿泊できるデイサービスを引き継ぐことが決まった。
ここは目の前に幼稚園もあり、園児たちと交流ができ、思い描いていた施設つくりができそうな感じ。
幼少より疎遠になっていた姉の協力で施設運営をすることになり、平成26年1月より運営を開始。
軌道に乗るまでに約1年。多少困難もあったが、まわりの方々の協力をいただき、利用者も増えて賑わいのある施設となった。
次は地元飯塚市で施設運営をやりたいと思っていたところ、嘉麻市にて売施設の情報が入り、土地建物を購入。リフォーム後、平成27年1月より新規開設することとなる。
3施設目は、平成28年4月に太宰府市にて障がい児の施設を開設。3か所目の施設運営が始まった。
太宰府の施設は、築年数30年ほどの民家で、アットホームで自宅にいるような感じの施設。
障がい児施設運営は初めてだったが、これもまわりの方々の協力を得ながら順調に運営ができた。家庭的な住環境の中、子供たちの成長と元気な笑顔にやりがいを感じた。

私には思い描く施設像がある。高齢者・障がい児・者、健常者が分け隔てなく共存できる住環境創りをすること。そして地域社会に根差していくことである。

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